大谷翔平選手の臨時通訳として抜擢されたウィル・アイアトンさん。
元々はドジャースのパフォーマンスオペレーション主任として、選手の育成などを担当しています。
臨時通訳として話題ですが、なんと野球経験者でWBCに出場したという噂が。
そこでこの記事では、今大注目のウィル・アイアトンさんの経歴について調べてみました!
ウィル・アイアトンの経歴や学歴まとめ!
ネットではウィル・アイアトンさんが野球経験者と言われていますが、本当なのでしょうか。
早速ウィル・アイアトンさんの野球歴を見てみましょう。
幼少期〜中学時代
ウィル・アイアトンさんは東京都出身。
幼少期はインターナショナルスクールに通い、野球をしていたそうです。
その時の夢はアメリカ・メジャーリーグで野球をすることだったので、ハワイの高校に進学します。
高校時代:ミッド・パシフィック高校に進学
ウィル・アイアトンさんは夢を叶えるために、ハワイのミッド・パシフィック高校に進学。
アメリカ本土で野球をする為の準備として、この高校を選びました。
高校時代はピッチャーとサード(三塁手)のレギュラー選手だったそうです。
大学時代:メンロー大学とオクシデンタル大学に進学
大学時代は、2つの大学に通いました。
1つ目はカリフォルニア州のメンロー大学です。
この画像は大学卒業時に、最優秀生として選ばれてスピーチをしたときに掲載されたそうです。
やはり学生時代からすごい経歴をお持ちだったんですね!
メンロー大学では、国際ビジネスを専攻し、4段階中3.91という成績を残したそうです!
2つ目の大学はカリフォルニア州のオクシデンタル大学です。
バラク・オバマ前アメリカ大統領の出身校です。
ウィル・アイアトンさん毎年夏休みにロサンゼルスやアイダホ州で行われる、サマーベースボールリーグに参加していたそうです。
サマーリーグはMLBのスカウトも注目するビッグイベント!
メジャー・リーグで野球をするという夢に向けて、計画的に準備していたんですね!
【大学時代の受賞歴】
2011年:トップ・アカデミック・アスリート賞を受賞(大学3年次のスポーツ部で最高成績)
2012年:コリス・スチーア賞を受賞(大学スポーツ部の中で最高成績)
2012年 メンロー大学卒業生の中で最優秀賞を受賞(4段階の成績中、3.91)
2012年 フィリピン代表選抜
ウィル・アイアトンさんは大学卒業後、そのまま母親の出身であるフィリピンで、2012年のWBCに向けたトライアウトに挑戦。
フィリピン国籍も持っているんですね。ウィル・アイアトンさんの詳しい家族構成についてはこちらをご覧ください。
そしてトライアル後、見事、フィリピン代表に選ばれました!
試合では台湾やニュージーランドなどと戦い、残念ながら本線出場にはならなかったのですが、フィリピン代表として打席に立ちました!
台湾戦では三塁ゴロという結果に。ヒットにはなりませんでしたが、国の代表選ばれプレーをしたこと自体がすごいですね!
2013年 テキサス・レンジャーズとマイナー契約
その後、フィリピン代表選手としての経験が評価され、翌年にはテキサス・レンジャースとマイナー契約を交わしました!
トライアルを受け、二塁手と三塁手としてプレーしました。
同じ時期に中博俊選手もマイナー契約で在籍しており、2人は気の合う仲間だったようです。
しかし、メジャーリーガーとして活躍するのは困難だと感じ始めます。
(Aレベルで)戦うためには100パーセントのベストを尽くさなければならなかった」と彼は説明した。 そう考えると、彼は他の選択肢を検討する必要がったようだ。
「意識的にプランBを立てていたわけではない。でも、本当に野球が大好きでした。」とアイアトン氏は言った。
引用元:Discover Nikkei
そして、ウィル・アイアトンさんは24歳の時に現役を引退しました。
2014年 WBCフィリピンチームのGMサポート役
引退後は2014年にWBCのフィリピンチームのGMをサポートするスタッフに就任。
当時は選手をスカウトしたり、コーチを探したり、練習場所の手続きをしたりとGMのように働いていたそうです。
「まるでプロ野球チームのゼネラルマネージャーになったようだった」とウィルは明かした。
「我々にはオーナー代理がいた。 選手をスカウトしに行かなければならなかった。 コーチを見つけなければなりませんでした。 練習場を探したり、旅行の手配をしたりしなければなりませんでした。」
引用元:Discover Nikkei
プロの野球選手として活躍した後は、チームのサポート側で野球に携わっていたんですね!
ウィル・アイアトンさんはいつから通訳をし始めたのでしょうか。
ウィル・アイアトンの通訳経験はあの選手4人!
大谷翔平選手の臨時通訳としてメディアに出始めたウィル・アイアトンさん。
初めて通訳の経験をしたのは、いつだったのでしょうか。
田中将大選手の通訳
2014年にウィル・アイアトンさんはニューヨーク・ヤンキースでインターンシップをし、野球の裏方を学んでしました。
同年に田中将大選手がニューヨーク・ヤンキースに入団。
ニューヨークに田中将大選手を紹介する記事「A Passion to Pitch」のアシスタントと通訳を務めました。
前田健太選手の通訳
2016年、専属通訳として前田健太選手を支えます。
通訳業だけでなく、ブルペンでの練習に付き合ったり、スケジュール管理も事細かにこなしたようです。
前田健太選手とチームとのミーティングには全て参加するなど、徹底的なサポートぶり。
練習時には球拾いをしたり、スライディングやダイビングキャッチもするなど、通訳とは思えないくらいの動きを見せていたそうです。
さすが、元プロ野球選手!
明るく人当たりの良い性格で、礼儀も正しいので、メディア関係者からも高評価だったとか。
陽気な性格なのでチームでもムードメーカー的存在だそうです。
そんな姿が分かるウィル・アイアトンさんの面白い動画があります。詳しくはこちらの記事をご覧ください。
大谷翔平選手と山本由伸選手の通訳
そして2024年3月21日、韓国にて開催されたパドレス戦から、大谷翔平選手と山本由伸選手の通訳に就任しました!
2024年3月26日の大谷翔平選手の記者会見では、隣で同時通訳を務めました。
全世界が注目する重く緊迫した空気の中、冷静に対応し同時通訳をしたウィル・アイアトンさんに対し米記者も大絶賛でした!
まとめ:ウィル・アイアトンの経歴や学歴まとめ!通訳経験はあの選手4人!
- 幼少期からの夢はアメリカ・メジャーリーグで野球をすることだった。
- 夢を叶えるために、ミッド・パシフィック高校進学。
- 大学時代はメンロー大学とオクシデンタル大学に進学し、文武両道に徹する。
- フィリピン代表選抜され、プロとして活躍。
- テキサス・レンジャーズとマイナー契約。
- 田中将大選手、前田健太選手、大谷翔平選手と山本由伸選手の通訳を務める。
いかがでしたか?
ウィル・アイアトンさんは夢を叶えるために努力を惜しまず、多くのチャレンジをしてきた信念のある人だということがわかりました!
これからの活躍が楽しみですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!